母、三子が永眠しました
山梨県の勝沼にある
柏尾山大善寺の6人兄弟の末っ子で
日川高校時代はハンドボールで
インターハイに出て8位、
東海大写真部の父とは違い体育会系、
相模女子短大に通っている時に
アルバイト先の喫茶店で父と出会い、
結婚して町田市玉川学園に住みました。
おおらかでよく笑う母でした。
責任感があり、パート先でも役職につき
それで自分を犠牲にしてしまうところを
家族は心配していました。
姉のバンド活動も応援し
私が選挙に出ることになった時も
本当に一生懸命宣伝をしてくれました。
家族を大事にする母でした。
15年前、子宮に異変があることを
本人はわかっていたのに
病院に行くと入院することになるため
パート先に迷惑がかかると
先延ばしにしていた矢先、
意識をなくし、救急車で運ばれました。
子宮肉腫、ステージ4、
膀胱に転移し、末期の状態でした。
5年生きる可能性は14%以下、
国立がんセンターのホームページには
そう書いてありましたが
町田市民病院にて2度の手術を行い
その後の治療の甲斐あって
ここまで生きることができました。
孫が生まれた時の喜びよう、
一緒にいる時の笑顔は忘れません。
しっかりと息子にも
「君のことが大好きだったばあばだよ」と
伝えていこうと思います。
最後の数日は食も細くなり
心配をしておりましたが
28日夕方、手を握って
「明日また来るからね」と伝え
孫とも握手をして笑顔を見せておりました。
その後、しばらくして容体が急変し
そこからはあっという間だったと
父が言っておりました。
苦しまなかったことがよかったと
家族で話しておりました。
母の絶大なる応援があって
私もこれまで、市議会議員として
活動を続けることができました。
これまでの母の愛をこれからも忘れず
仕事を続けてまいりたいと思います。
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